防災コラム #情報

富士山噴火の歴史から読み解く ― そのメカニズムと備え

2026/07/14

美しい姿は、噴火が造った

東海道新幹線の車窓から富士山を見て、心躍らない人は少ない。
日本一高く、均整のとれたその姿は神々しく、端正なシルエットは、噴火が何度も繰り返された末に造られた「活火山」の造形だ。
私たちが眺めている美しさは、富士山の年輪でもある。

 富士山は、いくつもの火山が積み重なってできています。約10万年前から始まった「古富士火山」は爆発的な噴火を特徴とし、大量のスコリアや火山灰を噴き上げて標高3,000メートル級の山体をつくりました。その上に、現在の姿につながる「新富士火山」が重なっていきました。この新富士火山は、781年以降だけでも古文書に17回もの噴火が記録されています。富士山は決して「眠り続けてきた山」ではありません。
たびたび火を噴いてきた日本でも有数の活火山なのです。

記録に残る大噴火

有史以降の富士山噴火のなかで、とりわけ規模が大きかった噴火があります。

864〜866年の「貞観噴火」
 北西山腹の長尾山から大量の溶岩が流れ出し、いまの青木ヶ原樹海の下に広がる溶岩原(青木ヶ原溶岩)を形成した。溶岩を主体とする、比較的おだやかな見た目ながら大量の噴出をともなう噴火でした。

1707年(宝永4年)の「宝永噴火」
 旧暦11月23日、太陽暦では12月16日、富士山の南東山腹が突如として爆発した。黒煙が立ちのぼり、噴石が飛び、空振と雷鳴がとどろく激しい噴火だったと記録に残っています。噴出した膨大な火山灰は御殿場・小山から神奈川県域へと降り積もり、その日のうちに約100キロ離れた江戸の街にも達し、房総半島にまで被害が及んびました。
噴火は約2週間にわたって断続的に続き、火山灰に埋もれた山麓の村々では多数の餓死者が出ました。噴出量は貞観噴火に次ぐ規模で、この噴火が山腹に開けた大きな傷跡が、いまも見える「宝永火口」です。

 見逃せないのは、この宝永噴火の49日前に、推定マグニチュード8級の宝永地震(東海・南海地震)が発生していたことです。巨大地震と噴火が近接して起きたこの事実は、地震が火山活動を誘発しうる可能性を示すものとして、現在も注目されています。
そして宝永噴火を最後に、富士山は300年以上、顕著な噴火を起こしていないのです。これは「安全になった」という意味ではありません。地質学的な時間感覚でいえば、300年は「つい先ほど」にすぎないのです。長期間の平穏は、むしろ、次の大噴火への助走とも読めるのです。

噴火のメカニズム ― 二つの顔

 富士山の噴火が厄介なのは、様相が一定でないことにあります。大きく分ければ、貞観噴火のように溶岩を大量に流し出すタイプと、宝永噴火のように火山灰や噴石を爆発的に噴き上げるタイプがあります。貞観噴火は流れの到達範囲、宝永噴火は降灰の広がりが問題になります。
実際、2021年に17年ぶりに改定された富士山ハザードマップでは、溶岩流が神奈川県内にまで到達しうることが新たに示され、想定は従来より大幅に広がりました。

 とりわけ現代社会にとって深刻なのが、宝永型の「広域降灰」です。もし宝永噴火と同規模の噴火がいま起きれば、風向き次第で関東平野の広い範囲に火山灰が降り積もるシミュレーション結果が出ています。最悪の場合、都心部でも視界が悪化し、交通・電力・水道・通信といった都市機能が連鎖的に麻痺する恐れがあります。また、鉄道はレールにわずか0.5ミリの灰が積もるだけで運行が難しくなり、火山灰は雨を含むと固まって重くなり、除去も容易ではありません。溶岩や火砕流のように「命」を直接奪う現象ではないぶん、被害は広く、長く、じわじわと社会浸食します。

これからの備え

 こうした特徴を踏まえ、国の対策も新しい段階に入りました。
内閣府は2025年3月に「首都圏における広域降灰対策ガイドライン」を公表し、同年8月には大規模噴火時の降灰の様子を可視化したイメージCGも公開しています。ガイドラインが示す考え方は明快です。降灰は津波や火砕流と違って直ちに命を脅かすものではなく、首都圏は人口が多く、噴火予測にも不確実性があります。だから住民は、原則として「できる限り降灰域内にとどまり、自宅で生活を継続することを基本とする」 としています。
つまり、火山灰に対する備えの本質は「逃げる」より「留まって耐える」ことにある、というわけです。

私たちが平時にすべきこと

 数日から数週間、自宅で暮らせるだけの水・食料・常備薬の備蓄。停電と断水を前提とした準備。そして火山灰から呼吸器を守るための防塵マスクとゴーグル。加えて、自分の住む地域が溶岩・降灰・泥流のどのリスク圏にあるのかを、ハザードマップで一度確認しておくこと。富士山周辺と首都圏では、備えの中身は当然変わってきます。

 富士山は、いつか必ずまた噴火します。それは脅しではなく、地質学が淡々と告げる事実でもあります。
歴史は、恐怖の記録であると同時に、備えの教科書です。300年前の人々が書き残した古文書が、いま私たちの防災計画を支えていると言っても過言ではありません。

 美しい山を仰ぎながら、幾重にも重なる足元の年輪に思いを馳せる。
歴史を知って山を恐れ、備える。
それは、山と長く付き合っていくための知恵なのです。

参考にした主な情報源(出典)

- 内閣府 中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1707 富士山宝永噴火」(2006年)
- 内閣府 防災情報のページ「首都圏における広域降灰対策ガイドライン」(2025年3月)
- 内閣府「富士山の大規模噴火と広域降灰の影響(イメージCG)」(2025年8月)
- 富士山火山防災対策協議会「富士山ハザードマップ(令和3年3月改定)」
- 気象庁「富士山 有史以降の火山活動」
- 静岡県富士市「富士山の噴火史について」
- 産業技術総合研究所 地質調査総合センター「噴火推移データベース(富士山1707年宝永噴火)」
- nippon.com「活火山・富士山の歴史」