7月28日午後5時35分、二人はイオンモール熊本の一般入口から館内へ戻りました。
その15分後。爆発は、起きました。
大竹玖瑠美さん22歳。同僚の女性25歳。地震のあと一度は屋外へ、二人とも、避難していました。安全な場所にいたのです。
戻った理由は、レジの売上金を金庫に移すためでした。
▼何が起きたのか▼
雑貨店運営会社の幹部が8月3日、報道各社の取材に応じ、経緯を明らかにしました。
地震発生後、当日休みだった店長を通じて二人の無事を確認。その後、モールが休館になると聞いた幹部が、店長に「もし戻れるのであれば売上金を金庫に保管してほしい」「無理ならば可能な範囲で」と伝えました。店長から依頼を受けた二人が、館内へ戻りました。
大竹さんは避難先の駐車場で偶然親族に会い、こう言い残しています。
「会社から売上金を金庫に入れるように言われたから戻る」と。
幹部は「私が指示をしたのは事実。責任を痛感している」と述べ、謝罪しました。
同社は県内の他の3店舗にも、施設側の許可が得られた場合は売上金を回収して金庫に保管するよう指示しており、3店舗の店長はそれぞれ実行していました。
なお、モールの運営会社は「避難後は館内に入らないマニュアルになっている」としています。幹部もマニュアルの存在は知っていたうえで、「なぜそうしたミスを犯したのだろう」と語っています。
▼この記事の立場▼
これから書くことは、一つの会社を責めるためのものではありません。
同じことが、日本全国の職場でも起こりうるからです。
売上金、鍵、パソコン、書類、貴重品。これらを「守るべきもの」として扱う習慣は、あらゆる職場にあります。
そしてその習慣は、地震が起きた瞬間に自動的には消えません。
指示を出した幹部は、悪意で従業員を危険にさらしたのではないでしょう。休館になるかもしれない、現金を店内に置いたままにするのは不安だ。災害という異常事態の重みと、安全管理義務が欠落した判断であったことは間違いありません。
問題は個人の資質ではなく、平時の判断枠組みが緊急時に切り替わらないという、組織に普遍的な構造にあります。
▼見えてくる4つの課題▼
一、「無理ならば可能な範囲で」という言葉の重さ
幹部は、戻ることを強制していません。「もし戻れるのであれば」「無理ならば可能な範囲で」と、断る余地を残した言い方をしています。
しかし、雇う側と雇われる側の間で、この表現は対等には届きません。
22歳の従業員が、64歳の取締役から店長を経由して来た依頼に対し、「危険なので行けません」と答えるのは、実際には難しい。
相手が優しく言えば言うほど、応えなければという圧力が生まれることさえあります。
災害時、上位者からの「できれば」は、事実上の指示として機能します。
二、判断の場所が現場から離れていた
指示を出した幹部は、その場にいませんでした。
店長も休みで、現場にいませんでした。
館内の状況、避難の様子、周囲の混乱。それを見ていない人が、電話越しに判断しています。
一方、実際に危険を判断できる立場にいた二人は、判断する権限を与えられていませんでした。
災害時の意思決定は、情報が最も多い場所で行われなければなりません。
平時の指揮系統をそのまま持ち込むと、最も情報のない人が最も重い判断を下すことになります。
三、マニュアルは、知られていても止められない
モールの運営会社には「避難後は館内に入らない」というルールがありました。幹部もそれを知っていました。
それでも指示を出しました。
マニュアルが存在すること、内容を知っていること、そして緊急時に実際に守られること。
この三つは、つながっていなければ意味がありません。
「知っている」から「その瞬間に思い出して行動を止める」までには、大きな隔たりがあります。
これは訓練でしか埋まりません。
四、他の3店舗にも同じ指示が出ていた
これが最も重要な事実だと思います。
犠牲が出た店舗だけの特殊な判断ではありませんでした。会社として、地震直後に売上金の保管を優先する判断が、県内4店舗で同時に下されていた。
つまり、これは一つの誤りではなく、組織の判断基準そのものです。
他の3店舗は施設の許可を得て実行し、結果として何事もありませんでした。爆発が起きなかったからです。
もし、全店舗で爆発が起きなかったら、この判断は表に出ることすらなかったでしょう。
危険な判断の多くは、たまたま何も起きないことで見過ごされます。
今後の改善点
会社が今日できること
▼「災害時に取りに戻ってよいものは何もない」と、一行で明文化する▼
現金、鍵、パソコン、書類、商品。すべて例外なく。金額の多寡も関係ありません。これを規程に書き、全従業員に配ってください。
判断の余地を残すと、その場で誰かが判断することになります。判断させないことが、守ることです。
災害時の連絡は「安否確認のみ」と決める。
地震直後に会社から従業員へ連絡する目的は、無事の確認だけに限定する。業務上の依頼は、いかなる内容であっても行わない。
これを社内で共有しておけば、指示を出す側にも歯止めがかかります。
現場にいる人に、最終判断の権限を与える。
「現場の判断で拒否できる」ではなく、「現場の判断が最終である」と定める。上位者の依頼を断ったことを理由に、いかなる不利益も生じないことを明記してください。
▼現金管理の方法そのものを見直す▼
売上金を店内に残すことへの不安が、今回の指示の背景にありました。であれば、その不安を制度で解消できます。
1.日中の途中入金
2.キャッシュレス比率の引き上げ
3.保険の適用範囲の確認
現金が店内に残っていても困らない設計にすれば、取りに戻る動機自体が消えます。
商業施設ができること
▼テナントへの一斉連絡の仕組みを持つ▼
館内が危険であることを、施設からテナント運営会社へ直接、同時に伝える手段が必要です。
今回、モール側には「避難後は入らない」というルールがありましたが、それがテナントの本部にリアルタイムで届く経路はありませんでした。
▼「許可」を出す立場の重さを自覚する▼
他の3店舗では、施設側の許可を得たうえで売上金の回収が行われています。施設が許可を出せば、従業員は入ります。
平時の感覚で許可を出すことが、そのまま人を危険な場所へ入れる決定になりうる。この認識が、施設管理者側にも必要です。
働く一人ひとりができること
▼「戻ってください」と言われたら、断ってよいと知っておく▼
労働安全衛生法第25条は、事業者に対して「労働災害発生の急迫した危険があるときは、直ちに作業を中止し、労働者を作業場から退避させる等必要な措置を講じなければならない」と定めています。
これは事業者の義務として書かれており、労働者の権利という形にはなっていません。しかし裏を返せば、退避させるべき状況で戻るよう求めることは、この義務に反するということです。
加えて労働契約法第5条は、使用者に対し、労働者が生命・身体等の安全を確保しつつ労働できるよう必要な配慮をすることを求めています。生命に危険が及ぶ業務命令は、この安全配慮義務に反するものとして、効力を認められません。
断ることは、わがままではありません。
ただし、これを個人の勇気に委ねてはいけません。
22歳の従業員に「断る強さを持て」と求めるのは酷です。だからこそ、断らなくて済むように、会社が指示を出さない仕組みを作る必要があります。
提言
一、災害時に「物品を取りに戻る指示」を行わないことを、法令上明確化すること。
労働安全衛生法第25条は、急迫した危険がある場合に労働者を退避させることを事業者に義務づけています。しかし「いったん退避した労働者を戻らせてはならない」とは書かれていません。退避の義務は定めても、再進入の禁止は定めていないのです。
今回の事案は、まさにその隙間で起きました。条文に一行を加えるだけで、判断の余地はなくなります。
二、商業施設の防災計画に、テナント従業員への直接伝達手段を含めることを義務づけること。
現在の計画は、来館者と施設従業員が中心です。テナントで働く人は、施設と雇用関係がないために抜け落ちがちです。
三、災害時の退避や、危険な指示の拒否を理由とする不利益取扱いを、法令で明確に禁止すること。
労働安全衛生法第97条は、法令違反を労働基準監督署へ申告した労働者への不利益取扱いを禁じていますが、危険を理由に業務を断った労働者を守る規定はありません。「断れる」ことを制度で保証しなければ、現場の力関係は変わりません。
四、この事案を、企業防災の教材として記録すること。
責任追及とは別に、何が起きたのかを構造として残す必要があります。同じ判断は、明日、別の会社で下されます。
最後に
大竹さんは、駐車場で偶然会った親族に、戻る理由を伝えています。
隠してはいません。悪いことをしているつもりも、危険なことをしているつもりもなかったのだと思います。仕事として、頼まれたことをしに行っただけです。
その15分後に建物が爆発することを、誰も知りませんでした。
「危険だと分かっていれば止められた」という前提で対策を立ててはいけません。
危険が分からないからこそ、戻らせない仕組みが要ります。
規程に一行、書いてください。
「災害が起きたら、何も取りに戻らない」
その一行が、次の災害の誰かの命を救います。
※ 本コラムは報道されている情報をもとに構成しています。事故原因については現在も調査が続いており、今後、新たな事実が判明する可能性があります。亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。