8月11日、山の日。夏休み真っ只中のこの時期、登山やキャンプ、川遊びで休みを満喫している方も多いのではないでしょうか。
国民の祝日の中では最も新しく、「なんとなく夏休みに増えた休み」という印象を持つ人も少なくないはずです。
でも、この日付が8月11日に決まった経緯には、あまり知られていない、エピソードが隠れています。
▲「海の日があるなら山の日も」から始まった▼
山の日が生まれたきっかけは、意外にもシンプルなものでした。「海の日はあるのに、なぜ山の日はないのか」――そんな声が登山関係者や自然保護団体の間から上がり、2010年には日本山岳協会をはじめとする山岳関連の5団体が「山の日制定協議会」を設立。祝日制定に向けた動きが本格化していきます。
こうした活動が実を結び、2014年に祝日法が改正されて「山の日」が誕生。2016年から正式に施行されました。
祝日法にはその趣旨が「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」と記されています。日本の国土の約75%は山地であり、私たちの暮らしは古くから山の恵みとともにありました。そうした自然への感謝を、あらためて思い出す日というわけです。
▲なぜ「8月11日」なのか ― もう一つの日付候補▲
制定にあたっては、日付をどこにするかで議論が重ねられました。
祝日のない6月にする案、海の日(7月第3月曜)の翌日にする案なども出ましたが、最終的にお盆休みと連動しやすい8月が有力に。当初は「8月12日」で決定しかけていたといいます。
しかし、この案は土壇場で見直されることになります。理由は、8月12日が日本航空123便墜落事故が起きた日と重なっていたためでした。祝日として毎年その日を祝うことは望ましくない、という配慮から、1日ずらした8月11日に落ち着いたのです。
▲520人が犠牲になった、日本の航空史上最悪の事故▲
1985年8月12日、羽田発大阪行きの日本航空123便が、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落しました。乗客乗員524名のうち520名が犠牲となり、これは今なお単独機の航空事故としては世界最悪の犠牲者数として記録されています。
事故機は離陸から約12分後、後部圧力隔壁の破損をきっかけに垂直尾翼の大部分と油圧操縦システムを失い、操縦不能に近い状態で約32分間飛行を続けたのち、日が暮れかけた山中に墜落しました。乗員は最後まで機体を制御しようと奮闘し、その様子は乗客が遺した手紙や、後に公開された交信記録などを通じて今も語り継がれています。
現場となった御巣鷹の尾根には現在も慰霊碑「昇魂之碑」が建てられ、毎年8月12日には遺族や関係者が険しい山道を登り、犠牲者を悼んでいます。麓から続く道のりは決して楽ではありませんが、それでも多くの人が毎年欠かさず足を運び続けているのです。
▲山の日の翌日に、もう一つ向き合うべき日がある▲
こうした経緯を知ると、「山の日」という響きが少し違って聞こえてきます。
山を楽しみ、自然に感謝する日のすぐ翌日に、山という同じ舞台で起きた大きな悲劇の記憶が刻まれている。
これは偶然ではなく、祝日を定めた人々が意図的に避けた結果、生まれた並びなのです。
登山やレジャーで山に親しむ今日という日に、少しだけ立ち止まって、この由来に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。
そして明日8月12日には、山という自然の恵みと同時に、その厳しさや、そこで失われた多くの命についても、静かに思い出す時間を持ちたいものです。
山は私たちに恵みを与えてくれる一方で、時に厳しい牙をむく存在でもあります。
感謝と敬意、その両方を胸に、今日という一日を過ごしてみませんか。
--注釈ーー
御巣鷹の尾根にある「昇魂之碑」は、標高およそ1,500mの地点にあります。
登山口から碑までは距離約800m・高低差約180mの登山道を登る必要があり、公共交通機関はなく車での登山口までのアクセスが基本です。毎年8月12日の18時56分(墜落時刻)には、遺族や関係者による慰霊登山が行われています。
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