災害の報道には、しばしば「72時間の壁」という言葉が登場する。
地震で倒壊した家屋の下敷きになった人が生きて助け出される確率は、発生から3日を過ぎると急激に下がる。
水も食料も断たれ、脱水と低体温が容赦なく体力を奪っていくからだ。数字の上では、72時間は生と死を分ける境界線として語られてきた。
壁の向こうにも命はある。
それを静かに証明したのが、2024年1月の能登半島地震だった。
2024年元日、最大震度7が石川県を襲った。
石川県珠洲市正院町。多くの家が崩れ落ちた。それから5日が過ぎた1月6日の昼すぎ、避難所で活動していた福岡県警の機動隊員が、一つの情報を耳にする。
「まだ安否の分からない住民がいる!」
隊員たちはすぐに、情報を元に倒壊した2階建て住宅の捜索を始めた。
午後4時ごろ、その人は見つかった。
1階部分で、がれきに足を挟まれた90代の女性。発見はすでに被災から約120時間が過ぎていた。
数字だけを見れば、絶望的な状況だった。
現場に駆けつけた医師が、声をかける。だが、返事はなかった。
もう一度、呼びかける。
すると、がれきの奥から、かすかなうめき声が漏れた。医師が手を伸ばしそっと女性の手を握り、「手を握ってください」と言った。すると、弱々しく、けれど確かに、その手が握り返された!
「いけるかもしれない」
半信半疑だった医師の胸に、希望が灯った瞬間だった。
だが、ここからが本当の勝負だった。
長時間がれきに挟まれていた人を、何の備えもなく一気に引き出すと、圧迫されていた筋肉から毒素が全身に回り、救出直後に急変して命を落とすことがある。「クラッシュシンドローム」と呼ばれる、災害医療の恐ろしい落とし穴だ。助けることが、そのまま死に直結しかねない。だからこそ、救い出す"前"の処置がすべてを決める。
医師は狭く崩れた家屋の中に入り、点滴を打ち、酸素を送り、冷え切った体をひたすら温め続けた。
周囲には100人を超える消防と警察が集まり、「がんばれ、がんばれ」という声が絶え間なく現場に響いた。
処置を始めた当初、女性の体は脱水と低体温で冷たく、危険な状態にあった。がれきに挟まれたその一点から、いつクラッシュシンドロームが牙をむいてもおかしくない。ここで焦って引き出せば、それまでの努力ごと命が消えかねない。だから医師は、焦る気持ちを抑えて処置に徹した。必要な薬が現場になければ、別の看護師に本部から届けるよう指示を出す。点滴を落とし、薬を投与し、体を温める。その一つひとつが、毒素の回りを食い止め、彼女を"救出に耐えられる体"へと少しずつ引き戻していった。
やがて冷え切っていた体にわずかに熱が戻り、【脈拍が上向く。気道・呼吸・循環—】命の最低条件が確認され、クラッシュシンドロームの危険が抑え込まれたことをようやく見極めることができた。
レスキュー隊が動いた。
発見から、実に約4時間。
午後8時半。女性が救急車へと運ばれた瞬間、現場には大きな歓声が上がった。
地震発生から、約124時間。命に別状はなかった。
この5日間、女性の息子は毎日、崩れた家に向かって声をかけ続けていたという。
「返事はないけど、毎日声はかけていたんです」
母の生還を知った彼は、言葉少なにこう語った。
「命がけで助けてもらった。感謝しかないです」
救助にあたった隊員の一人は、この救出をこう振り返っている。
「72時間を超えての救出は非常に珍しい。避難者にとっても、希望の光を灯せるのではないか」
72時間の壁は、確かに存在する。それは科学的な事実であり、救助の現場が常に時間と闘っている証でもある。
けれど、壁は「そこで諦める理由」ではない。壁の向こうで、なお脈打つ命がある。声をかけ続けた息子がいて、狭い闇に降りていった医師がいて、励まし続けた100人の救助隊の声があった。
その一つひとつが、124時間を生き抜いた女性の命を、こちら側へと手繰り寄せた。
もし大切な人が、がれきの向こうにいたら。私たちにできることは、なんだろうか。
諦めずに声をかけ続けることは、できる。
その声が届く限り、壁の向こうに、希望が残されている限り。
ーーー参考媒体ーーー
北國新聞(北國新聞デジタル)
「倒壊家屋から90代女性救出 124時間ぶり、珠洲 能登半島地震」
日本経済新聞「能登半島地震、発生124時間後に90代女性救出 倒壊家屋から」
RKB毎日放送「『手を握ってくださいと言うと弱いが握る』自宅でがれきに足を挟まれた90代女性を地震から124時間後に救助」「手を握ってください」
福岡県警機動隊の捜索の経緯(6日正午すぎ捜索開始、午後4時ごろ発見)
ピースウィンズ・ジャパン/空飛ぶ捜索医療団"ARROWS"(PR TIMESのプレスリリースおよび団体公式サイト)——現場で救助医療にあたった稲葉基高医師の証言
東京新聞デジタルおよび中日新聞(YouTube)